台湾で、金鉱として栄えた九●(=にんべんに分)(きゅうふん)。その栄枯盛衰を描いたドキュメンタリー映画「風を聴く 台湾・九●物語」が10月、東京と横浜で公開
日本統治下の台湾で、金鉱として栄えた九●(=にんべんに分)(きゅうふん)。その栄枯盛衰を描いたドキュメンタリー映画「風を聴く 台湾・九●物語」が10月、東京と横浜で公開される。映画で案内役を務める江両旺さん(80)は、「古き良き台湾を知り、歴史の鼓動に触れてほしい。九●は日本人の軌跡でもあるのだから」と映画に託す思いを語る。
九●は、金脈が発見された清朝末期の1893年以降、ゴールドラッシュに沸いた。「金脈を当てれば一夜で大金持ち。当時は酒場が軒を連ね、金塊がチップとして大盤振る舞いされた。『上品送九● 下品送台北(上等な品は九●へ、下級品は台北へ送れ)』といわれ、街には活気と欲望が渦巻いていた」
往事を知る江さんによれば、最盛期の日本統治時代は年間数トンの金を産出し、総督府は市価を上回る価格で買い上げて産業を育成した。しかし、戦火が激しさを増す中、日本軍は方針を変えて銅を求め、採掘は下火となった。戦後、生産は再開されたものの、台湾に逃れてきた中国国民党は専売制度を敷いて利益を吸い上げ、「九●ドリーム」は色あせた。金脈は枯れ、1971年に廃坑、街は急速に寂れたという。
観光地として息を吹き返すきっかけとなったのは、台湾映画の名作といわれる「悲情城市」(89年)のロケ地となったこと。狭く曲がりくねった石畳の道に並ぶ古びた食堂などが現代人の郷愁を誘い、週末にはカップルや家族連れでごった返す。アニメーション映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)のモデルとされ、日本での知名度も上がり、今や台湾観光の“目玉的存在”だ。
生まれ変わった九●を見渡しながら、江さんは、金鉱で働き、国民党独裁下で辛酸をなめ、時代の変化に翻弄(ほんろう)されてきた人生を振り返り、「繁栄を長続きさせたい。それが唯一の望みです」と話す。
映画は日本人の林雅行監督が手がけ、エンディングには、九●の金鉱主だった故・顔恵民氏の娘で歌手の一青窈さんが、父との思い出を歌う曲が流れる。映画は日台文化交流の新たな架け橋として期待されそうだ。
●=「にんべん」に「分」
九●は、金脈が発見された清朝末期の1893年以降、ゴールドラッシュに沸いた。「金脈を当てれば一夜で大金持ち。当時は酒場が軒を連ね、金塊がチップとして大盤振る舞いされた。『上品送九● 下品送台北(上等な品は九●へ、下級品は台北へ送れ)』といわれ、街には活気と欲望が渦巻いていた」
往事を知る江さんによれば、最盛期の日本統治時代は年間数トンの金を産出し、総督府は市価を上回る価格で買い上げて産業を育成した。しかし、戦火が激しさを増す中、日本軍は方針を変えて銅を求め、採掘は下火となった。戦後、生産は再開されたものの、台湾に逃れてきた中国国民党は専売制度を敷いて利益を吸い上げ、「九●ドリーム」は色あせた。金脈は枯れ、1971年に廃坑、街は急速に寂れたという。
観光地として息を吹き返すきっかけとなったのは、台湾映画の名作といわれる「悲情城市」(89年)のロケ地となったこと。狭く曲がりくねった石畳の道に並ぶ古びた食堂などが現代人の郷愁を誘い、週末にはカップルや家族連れでごった返す。アニメーション映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)のモデルとされ、日本での知名度も上がり、今や台湾観光の“目玉的存在”だ。
生まれ変わった九●を見渡しながら、江さんは、金鉱で働き、国民党独裁下で辛酸をなめ、時代の変化に翻弄(ほんろう)されてきた人生を振り返り、「繁栄を長続きさせたい。それが唯一の望みです」と話す。
映画は日本人の林雅行監督が手がけ、エンディングには、九●の金鉱主だった故・顔恵民氏の娘で歌手の一青窈さんが、父との思い出を歌う曲が流れる。映画は日台文化交流の新たな架け橋として期待されそうだ。
●=「にんべん」に「分」